Doctor’s Blog About Brain And Heart

”脳と心” の関係について

【認知心理学から見た日本における教育の問題点】

 本の学生は世界規模で見ると割と優秀である.学習到達度テストでは世界でも上位に食い込むというのだから,それは大変結構なことである.しかし近年問題視されているのは,日本の学生のわかる学力不足である.学力は大きくできる学力とわかる学力に分類され,それぞれ定型問題と非定型問題の解決に用いられるとされる.別言すれば,計算問題をはじめとする,明確なアルゴリズムが確立された問題の解決はできる学力の領域であり,これを日本人は得意としている傾向にあるが,後者のわかる学力に関しては,他国に遅れを取っている状況にあるのだ.

 わかる学力はいわば概念的理解のための能力であり,既知の概念への対応づけや他の概念との比較などによって培われるとされる.関連する概念としては深い学習があり,これの例としては,パターンや基本原則の探索,対応づけや比較などが挙げられる.

 

 本の教育は一般的に教授者からの一方的な情報の提供に終始する,いわゆる講義形式である.これをお読みの皆さんもおそらくそういった教育を受けてきた方がほとんどではないだろうか.そこで,そういった教授主義的学習方略以外にはどのような学習方略があるのかについて論じたい.

 まず挙げられるのは,学習者自身が自ら課題を設定し,その解決に必要な情報や解法を探求する,或いは他者からの知識提供ではなく,自ら探し求めてそれを獲得する発見学習である.この発見学習と比して,より教授者や共同学習者の干渉が認められるものを探求学習と呼び,さらに,個人が多様な法略によって問題を解決し,各方略の関係性や差異について話し合い,それをもとに,より発展的な問題に個人が取り組むという学習スタイルを協同的探求学習と呼ぶ.前述の通り,こうした学生主体の教育方略が取られることは日本において稀であり,基本一方的な知識の提供に終始してしまうため,深い学習の達成が難しくなっているとされている.筆者が小学生の頃はちょうどアクティブラーニングの重要性が指摘され始めた時期であり,学校の授業にも徐々に生徒間の相互作用を促すような要素が導入されるようになっていたのを覚えている.

 このように,深い学習を促すためには教授者からの知識の提供のみならず,主体的学習による気づきや他者との交流による知識的枠組みの改変などが不可欠なのである.